「草山(くさやま)」
「草山」という地名が初めて書物に出てきたのは、「草山荘」という名でした。鎌倉時代から戦国時代の荘園だったようです。嘉元3年(1305)の九条家文書によりますと、藤原氏ゆかりの荘園であったようです。
「嘉永記」(1850年ごろ)には、次のような記述があります。「多紀郡北境にありて東は大芋庄藤坂及び船井郡釜谷に境、東南は大芋庄筱見(ささみ)に境、南は曽我部庄火打岩(ひうちわん)に境、西南河内郷栗柄に西は氷上郡春日部郷能勢村に、北は天田郡兎原(うばら)庄友淵、高杉、下村に境、其境各山を以し道又坂あり是友淵との間平陸なり、此郷山中にあり在て而も田地余り山中平易の所多し古へは草のみ生ぜしにより草山村の名起るか、近江の国に草山の名あり此理か…」
この地には、古くから不思議な泉がありました。「丹波志」によりますと、「遠方(おちかた)村より船井郡釜谷奥谷へ行く路傍田間方三尺許水溜る、色白濁潮の味あり、因って潮池と名付く」と記されています。ここを通称塩谷といい、明治20年ごろ地元の人たちの出資で「春日温泉」と呼ばれる温泉宿ができましたが、利用客が少なく長続きしませんでした。昭和32年、大谷重工の社員保養寮がつくられ、後に地元に譲渡されて「大谷にしき荘」として現在にいたっています。さらに、この泉源を利用して「観音湯」が設立され、現在大いに賑わっております。泉源からひかれた鉱泉は、慢性リュウマチや数々の神経病にきくといわれ、ストレス解消に訪れる人があとをたちません。
深まりゆく丹波の秋を眺めながらの露天風呂は、一味ちがう風情があるものです。ぜひ一度お立ち寄りください。
(参照図書) 多紀郷土史考、角川日本地名大辞典、丹波志
兵庫県文化財保護指導委員 大路 靖