「岡野(おかの)」
篠山市のほぼ中央に位置し、明治22年(1889)の町村制施行に伴って生まれました。風深(ふうか)、吹上(ふきがみ)、東岡屋、西岡屋、有居(ありい)、矢代(やしろ)、大野、今福、野尻、西浜谷、東浜谷にの11集落を含んだ旧村名です。「岡野」とは、岡屋の岡と大野の野をとって名づけられたといわれています。
「岡野」の名を学問的に広めたのは、明治37年(1904)4月7日6時30分ごろ、今福のお寺の裏山に落下した1個の隕石でした。「兵庫県災害誌」に次のように記されています。
「俄然空中に雷鳴のごとき凄然たる音響を聞くと同時に、一個の大球西方より飛び来り、同時にして巨砲を発したるが如き、響きありて震とうす……。」
隕石は、太陽系創世紀(約46億年前)に形成された地球外の岩石です。隕石はその成分から大別して石質隕石・石鉄隕石・隕鉄の3種類に分けられます。今福に落下したものは、化学分析の結果、太陽系の初期に大規模に溶けた微惑星のかけらであることが判明し、隕鉄「岡野号」と名づけられたのです。
この「岡野号」の落下を目撃していた畑勝蔵さんたち3人は、落ちたと思われるお寺の裏山を探したところ、樫の木がさけているのを発見しました。その根元には直径約20センチ、深さ約80センチの穴があいており、黒煙が漂っておりました。3人は、尖った部分を上に向けて突き刺さっていた「岡野号」を掘り出したのでした。
落下については、当時の県庁職員や篠山署員、京都府の小学校教師らも目撃しており、落下の様子が明らかに観察されたのは、この「岡野号」だけと言われています。この隕鉄の大きさは、長径18センチ、短径12センチ、重さ4.74キロで、約95%が鉄だそうです。その後の研究でスライスされ、大英博物館とシカゴのフィールド博物館に「岡野号」の分身が保存されています。今では3.58キロと細身になりましたが、京都大学工学部の研究室でさん然と輝いています。