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丹波篠山地名考

「小多田(おただ)」

小多田 八上(やかみ)の縄手筋から南へ直進し、国道372号を横断すると「小多田」です。突き当たりは山にさえぎられ、手のひらを開いたような地形に、東谷、奥ノ谷、平柳谷(屏南崎)、小野谷、福井谷の五つの谷があり、山を越えると三田市永沢寺へと続きます。
 地名の起こりは、小さな田が多くあった所からともいわれていますが、その由来(ゆらい)どおりの田は、最近のほ場整備によって大きな耕地に変わりました。
 古くは、鎌倉時代の記録に地名が残されており、その当時から、ここには数多くの寺院がありました。各種参考文献からみますと、大応寺(大王寺)・興聖寺(興正寺)・勢央寺・如法寺(妙法寺)・雲松寺・比丘尼寺(閑谷)などです。これらの寺院にちなむ小字名が今も残っており、そのうちの明法寺・清尾寺・雲照・閑谷寺坂口・堂ケ鼻・寺地開地などは寺院建立の場所と直接関連があると思われます。
 現在は善導寺と専福寺の二寺がありますが、かつての興聖寺が、善導寺ゆかりの寺院といわれています。その昔、兵火により消失した輿聖(こうしょう)寺に、誓願寺開祖の高弟岸空本柳が訪れ、屏風(びょうぶ)岩と呼ばれる岩上に二体の仏像を見つけました。供養の後、一体の薬師如来を本尊として善導寺を建立し、残った阿弥陀如来は八上にあった真福寺(現在河原町)の本尊にしたといわれています。
 山上から眺める小多田の野は美田こまやかな限りで、季節ごと南から望む篠山盆地の風情と雲海はまた格別なものがあります。
 かつて、多紀郡長や鳳鳴義塾長を歴任した安藤直紀は、篠山案内記に次のような一句を残しております。

    夕霧に 煙をこめて をたゝ野の
            遠の一むら まつくれにけり

(参照図書) 角川日本地名大辞典、兵庫県史、多紀郷土史考
篠山文華学会会員 小野 守之