「村雲(むらくも)」
「村雲」は、篠山市の北東部にあって、国道173号が通っています。
村雲の地は、非常に古く、奈良時代以前は「草上里(くさのかみのさと)」と呼ばれていました。奈良の明日村から出土した木簡には「旦披国多紀評草上里漢人了口口口(たんばのくにたきのこうりくさのかみのさとあやひとのべ(佐知目))」と、書かれていたのです。
この「草上里」が草上郷(くさのかみのごう)(「和名抄(わみょうしょう))」に記述)となり、その後「草上荘(そう)」となります。
その「草上」の範囲は、奈良期以前は、大芋、村雲、福住、雲部の一部と広範囲であって、その後、大芋荘や小野荘ができ、細分化されていきました。
「村雲」の地名は平安時代の永保(えいほ)元年(1081)に、詠まれている古歌(こか)があります。
「雨の下年へぬ秋ぞなかりける村雲の神のしるしに」と。
その後、平安末期には、京都の九条家の領有となり、その政所(まんどころ)(政庁)が村雲の北条に置かれていました。そのころの漢字には、「叢雲(むらくも)」と書かれています。
江戸時代には、向井組と呼ばれ、県守(あがたもり)や東本荘も村雲でしたので、「村雲の洞光寺(とうこうじ)」と呼ばれていました。
筱見(ささみ)や小田中(こだなか)は、福井組(大芋)村でした。
(参照図書) 角川日本地名大辞典、多紀郷土史考(下巻)
丹波史懇話会会長 中野 卓郎