「大芋(おくも)」
篠山川の最上流に位置する「大芋」は、大きい芋と書いて、「おくも」と呼んでいます。
大芋は、篠山市内でも早くから、開発が進んだ土地で、式内大社の櫛石窓神社があるところでもわかります。
奈良時代以前(710年以前)は、「草上里」に含まれていました。その後「草上郷」と「草上荘」となるに及んで「大雲荘」や「村雲荘」、「小野荘」等と細分化されました。その頃の地名は「大雲」と、書かれています。
南北朝時代から室町時代ころの荘園名として「篠山領地誌」や「篠山封疆志」には、「大芋荘」となっています。また、「丹波志」は「大芋庄」と書かれていて、雲か芋かは、地名の起りの解釈によりようです。
「大芋」は、きり芋で、雲のような形をしているので「おくも」と呼び、「多紀郡明細記」では、「大芋」または「大雲」とも書かれています。
地名起源の一つに、市野々の洞穴に土蜘蛛が住んでいたので、「大蜘蛛」から「大雲」となったようです。
明治31年の町村制改正によって「大芋」と書いて「おくも」と呼ぶようになりました。なお、江戸時代の大芋村は、「福井組」といいました。
(参照図書) 角川日本地名大辞典、丹波志他
丹波史懇話会会長 中野 卓郎
▼福井・大関酒造周辺