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ささやまのみんわしゅう 文・画 田中貞典 |
■ 柿の木地蔵元和7年(1621)江戸に幕府が開かれて20年ほど経ったころ、篠山の東部に起こった出来事です。 これまでから何回となく洪水や干ばつ、それに冷害などが起こり、その度に、農民は苦しめられてきました。農民は苦しめられてきました。その上、篠山藩の年貢の取り立ては、厳しく農民は苦しい生活でした。 元和7年は日照り続きで田んぼに引く水もありません。川の水が干上がってしまったのです。稲はほとんど枯れてしまって、人々は食べるものさえなくなってきました。木の葉、草の根、さらにはへびやかえるにまで手をのばして、食べなければなりませんでした。それでも、食べるものがなくなり、飢えて死ぬものがあちこちに続出しました。しかし、二の坪村はその年柿が豊作でした。村人たちはその柿を食べ、かろうじて命をつないでいました。 そこへ、ある日、役人が村にやってきて、 「本年は、作物不作につき、柿を年貢の代用に上納すべし。」 「これまで、いくら困っても樹木年貢などはなかったのに、ひどいことをなさる。」 みんな庄屋の重兵衛さんの家に集まって相談しました。 「わしはどうなってもええ。みんなの苦しみが少しでも救われるなら、わしの命はどうなってもええ。」 重兵衛さんは京都所司代への越訴を決意しました。願い文をにぎりしめ必死になって叫びました。願い文は聞き入れられましたが重兵衛さんたちは捕らえられ責任者九名は八上城のふもとにおいてはりつけの刑に処せられました。二の坪の中央にある柿木地蔵。これが柿年貢をやめさせるため命を捨てた重兵衛さんの供養仏と言われています。 |