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ささやまのみんわしゅう 文・画 田中貞典 |
■ 負けぎらい稲荷文政3年(1820)篠山藩主青山忠裕が幕府の老中をつとめていたころ、毎年、春と秋に江戸領国の回向院広場で大相撲が催されていました。ある年の春場所のことです。篠山藩の力士は負けてばかりいました。負けぎらいの忠裕は、毎日ふきげんでした。ところが六日間になって、変な格好をした田舎者があらわれ、 「殿、ごきげんうるわしく存じます。これなるは、丹波の国、青山家領分の宮相撲取りでございます。大地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、曽地山左近、小田中清五郎、須知山道観、頼尊又史郎と申す者どもでございます。ぜひ、相撲を取らせていただきたい。」 と、いって、八人の力士があらわれました。特別に殿のお許しが出たので、しぶしぶとらせましたが、どうしたことか全員が勝ち星をあげました。ごけねんな忠裕は、 「これはふしぎじゃ。その者をすぐこれへ呼べ。」 家来どもがさがしましたが、さっきの力士はどこにもいません。あとでしらべさせたら、丹波にはそんな力士はいないが、その名前がみな青山家領分のお稲荷さんが、まつられている地名ということがわかり、 「さては、お殿さまをよろこばせようと、お稲荷さんたちが化身のきつねを江戸へ遣わされたのだろう。」 と、いうことになって、忠裕はそれぞれの稲荷神社へ感謝のまごころをこめたのぼりや絵馬を奉納されたということです。 |