丹波杜氏が有名な訳
●NHKドラマ「甘辛しゃん」でも描かれているように、日本酒は各地方の蔵元により、つまり職能集団としての作り手の技術によって、味は大きく変わります。そのため、杜氏がどの地方の出身かが、とっても重要です。今日、近代化が進みつつありますが、依然作り手の技術は酒造りの重要な要素です。
全国に杜氏の里といわれるものには丹波杜氏のほかに南部杜氏、丹後杜氏など約28あります。技術力、組織力をもって丹波杜氏はその頂点に位置しています。
最近ではブランド名のほかに丹波杜氏の氏名を入れたお酒が多くあります。ご覧になったことがありますか。
●古くからお酒の里といえば伊丹・池田でしたが、江戸時代中期以降、灘の酒が大消費地江戸に樽回船による海上輸送によって持ち込まれるようになり、江戸の消費量の7割から9割が上方から来た「下り酒」でした。
灘の酒は近くに酒米の産地があり、六甲から流れ出る硬水の宮水、そして丹波杜氏の技術が三位一体となって生み出されています。
●池田、伊丹、灘の酒造家は、近郊の労働力を求め、高い技術力と風土が育んだ忍耐力から競って丹波杜氏を雇い入れたといいます。
丹波杜氏は今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作りました。
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