『夢』には多分「かなわない夢」と「かなう夢」があるのだろう。おかしな例で恐縮だが、私が趣味で奏でる楽器で、「たんば田園交響ホール」を満員するなどは、さしずめ間違いなく「かなわない夢」といえる。従ってこれは「空想」の世界となる。しかし、内外の素晴らしいクラシック演奏家を招いて、このホールを満員にするのは、きっと「かなう夢」に違いない。800名のホールは、やはり満員にしてこそ演奏者と観客が一体となったコンサートとなる。音響効果も生きる。ジャンルに関わらず、良いライブというものは、ミュージシャンとファンが呼応しながら熱いコンサートとなって進行していくのである。
1988年4月、篠山市民の待ちに待った「たんば田園交響ホール」が大阪フィルのベートーベン「田園」で輝かしい旅立ちをした。見事な演奏と素晴らしい音響に観客は酔いしれたことであろう。
多くの市民、特にこのホールが出来るまで北濠端の旧鳳鳴高校体育館などでコンサートに携わった人達にとっては、まさに夢がかなった感動の瞬間だったと思う。
その後、綺羅星のごとく輝く多くのアーチストが篠山を訪れ、印象に残るコンサートを残していった。これには歴代ホールスタッフの企画力やステージオペレーターの皆さんの尽力に負うところも大きかったのであろう。
しかし実はと言うか、やっぱりと言うか、クラシック系統の観客動員力は余りかんばしくはなかったようである。私もそれは何度か経験した。国内で極めて知名度の高いバイオリニストやピアニストのリサイタルが、都会のホールではおよそ考えられないぐらい閑散としているのである。立ち見が出るほど入ってくれとは言わないが、私は市民として、ガランとした客席でのステージが演奏者に失礼というか、ただただ申し訳ない思いで、奏でられる曲をじっくり聴くどころではなかった。それ以降、私は、コンサートは市外の会場へ足を運ぶことが多くなる。関西圏のホールはもとより、往復夜行バスで東京まで出かけたことも。大都市のホールは概ね満員、気兼ねなく音楽を楽しむことが出来る。アーチストも観客の思いに応えようとする。「ああ良かった」と家路に着く。でも、交通費もかかれば時間もかかる。出来れば自宅から歩いて行ける我がホールでよい演奏に酔ってみたい。
「田園交響ホール」が稼動して10年あまり経過した2000年過ぎからクラシックの公演が減ってくる。止むを得なかったと思われる。ひどく採算の合わない演奏会をいつまでも開催するわけにはいかない。でも、このままでは決して良くない。
さて、このたびのホールの大改修、これを記念して2011年度は「市民共同企画」の公演が4ステージ開催されるという。公演経費の一部を市が負担する市民提案のステージである。期待したい。
しかし、私は、さらに一歩進めて、市民グループが企画の段階から参画、ホールと協働で聴きたいアーチストを招聘、コンサートプログラムの提案、決定からチケットの販売まで行うというようなコラボレーションが出来ないかと思う。過去にも類似の取り組みはいくつかあったのではと思う。全面的な市民参画によるホールの活性化は、それが音楽を通じた新たな「市民コミュニティ」の形成につながっていくのでは、という期待にたどり着く。
この篠山になくてはならないホール、そして市民あってのホール、観客あってのホールでいて欲しいと心より願っている。
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