デカンショ節に見る丹波杜氏
●デカンショ節は替え歌も広く流布し、歌詞もたくさんありますが、一般に使われている25の歌詞にも酒を扱ったものがあります。
「酒は飲め飲め茶釜で沸かせ お神酒上がらぬ神はない」
は有名ですが、
「寒さしのんでつくりし酒で 春の三三九度の式」
「灘のお酒はどなたが造る おらが自慢の丹波杜氏」
丹波杜氏に込められた想いを感じさせます。
●デカンショ節はちょうど100年前の1898年千葉の館山の沖で旧制の一高生が篠山出身者が唄う歌を聞いて寮へ持ち帰り、広めたとされます。そのため、デカンショという言葉の起源は「デカルト カント ショーペンハーウェル」の3人の哲学者の頭の文字を採ったとする有力な根拠になっています。
●その昔から多紀郡内にみつ節として歌い継がれ、その歌詞のなかには
「デコンショ デコンショで半年暮らす あとの半年泣いて暮らす」
というのがあり、明らかにデカンショの起源となる本歌です。
夫が冬季出稼ぎに出かけ、残された妻の哀歌だとされています。一方で丹波杜氏たちが寝る間もなくつらく苦しい酒造りの中で「ぐっすりと寝てみたい」という願いがこの歌詞になったともいわれています。
いずれにせよ出稼ぎを唄ったもので、「でかせぎしよう」から変化したという説もあります。
●実際には、つらく長い冬が終わり、出稼ぎから帰ってきた蔵人たちを待っているのは十分な睡眠などあるはずがありません。苗床、田植えから稲刈り、臼すりまで眠る間もなく働かなければなりませんでした。
篠山地方では近隣の地方と比べて田植えは非常に早く行われます。一日も早く農作業を終え、杜氏にいくことからだと思われます。
男だけでなく女たちはまず、家の田植えを早く済ませ、1ヵ月近く近隣の地方へ早乙女として集団で泊まりがけで田植えに出かけていました。男と同様辛抱強く、働きものの多紀郡の早乙女として大変有名でした。手間のいる田植え作業が機械化されるほんの30年ほど前までのことです。
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